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大槻磐渓の名「清崇」の印
緒方洪庵の号「適々斎」
断層画像写真
緒方洪庵の旧宅・現在・大阪大学
美術年鑑の評価額
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オススメ度 4.3点
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(額縁は新品です。)
《大槻磐渓・自筆「日本外史」》
原本下部に大槻磐渓の名・清崇の落款2つ。
「適々斎」は緒方洪庵の号です。
「NIKHON GAISI」(V.M.Mendrin,1915,Vradivostok.)の訳もあります。
海外展示に際し、断層写真により分析されております。茶道具! 原花月 ☆富士・山下白雨 抹茶碗☆ KH03 新品 京焼 建水 蓋置 ギフト。【八八八】人間国宝 原清 粉引茶碗 ◆共箱 茶道具 抹茶碗 【c-017】。茶道具 抹茶茶碗 色絵 柚子(ゆず)画、京都 相模竜泉作、桐共箱 新品。
《日本外史 徳川氏》
日本外史 卷之二十一
德川氏正記
德川氏四
論外征諸將之功。以島津義弘全我國兵功最大任參議。加封四萬石。其餘行賞有差。嗣子秀賴猶幼。口耳相屬。德川與前田協心出政。
方今之計。二家已離。二人乃爲相惡者。三成事利家。期已定。大納言將不利於公。
《日本外史 徳川氏》
日本外史 巻之二十一
徳川史氏正記
徳川氏四
《法印前田玄以と、》・・・・・倶(とも)に外征諸将の功を論じ、天朝に奏請す。其の余、賞を行うこと差あり。内外、疑懼(ぎく)して、
口耳(こうじ)相い属(しょく)す。我が輩、徒(いたずら)に其の為に
駆役(くえき)せらる。
二家己に離るれば、乃ち以て逞(たくま)しうすべし」と。
利家、嘗(かつ)て内大臣を饗せんと欲す。
長盛、俄(にわ)かに来り警(いさ)めて曰く、
「大納言、将に公に利あらざらんと士と。》
(自筆漢文の「読み下し文の作成」は出品者)
(Ⅱ)・出品した原本の「原文の現代語訳文」は次の通りです。
島津義弘のわが国の兵を無事に朝鮮から帰国させた功が一番大きいというので、参議に任じられた。
その他の者も功績によって賞を与えられたが、それぞれ差等があった。人々は疑い恐れ、耳に口をつけて
互いに噂をし合った。
これを止めさせる今の一番よい計は、この両家に仲違いをさせることである。
そこで、この二人はわざと自分らの仲が悪いようなふうに見せかけて、
増田長盛は徳川氏に仕え、石田三成は前田利家に仕えた。
増田長盛が慌ただしくやって来て、徳川家康に警告していうには
(増田長盛)「前田利家は貴方にとってためになりませんぞ」と。
他日、増田長盛がこんどは前田利家に向かっていうには
(増田長盛)「以前は怪しい風聞があったため、徳川家康は貴公からの馳走を辞退された。貴公は再び徳川家康を招かれたらよろしい」と。
「大槻磐渓の自筆の表紙、冒頭、及び末尾」
写真右から書の表紙、中央が冒頭、左端が末尾と落款。
貴重な大槻磐渓・筆「日本外史」の古切を身近なものとして鑑賞することができます。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「日本外史」の文字が記されております。落札後には、見やすいようにA4サイズの「光沢紙」に転写し交付いたします。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。撮影後、展示のために再表装をしております。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。資料として断層画像写真を出品欄に掲示しております。額縁の大きさは、タテ40.0センチ ヨコ30.0センチ。周辺の白い線はストロボ撮影による光の反射光で傷ではありません。
頼山陽(1780~1832)は、文化11年(1814)35歳のおり、京都の医者であった小石元瑞(1784~1849)の養女・梨影(りえ)を妻に迎えている。小石元瑞は、仙台藩の侍医・大槻玄沢(1757~1829)に師事していた関係で、玄沢の次男・大槻磐渓(1801~1878)とも親しくしている。頼山陽の文政10年(1827)3月27日の日記(頼山陽46歳)には、「雨、大槻磐渓来訪」と記され、翌3月28日の日記には、頼山陽、大槻磐渓、小石元瑞ら18名で「夜桜」見物をしていることが記されている。「二十八日、新晴、二賴(山陽と杏坪)及び諸氏に陪して平野に遊ぶ。乃ち榻を花下に移し、張飲一場、頽然、皆酔ふ。遠近映発して煌々昼の如し。こうした交流から大槻磐渓は、「日本外史」の原稿本を入手し、精密な「楷書体」で書き写している。資料として大槻磐渓の「落款」を画像で掲載した。旧所蔵者を示す落款により緒方洪庵自身が所蔵し、大切に読みこなしていたことをうかがい知ることができます。緒方洪庵は、文化7年(1810)7月14日生~文久3年(1863)6月10日没。外国での展示に際し、上記「NIKHON GAISI」の表記ではなく、日本の国外における表記に準じ、「NIHON GAISHI」と表記しております。そのノートは、ケンブリッジ大学アストン文庫に残っております。このような断片を「古切」といいます。「日本外史」は、元来、大槻磐渓の書として冊子や巻子(かんす)で伝えられたものが、鑑賞用として「茶人」の好みにより鑑賞用として「茶会」用の「掛軸」、或いは屏風に仕立てられるようになりました。
国内における所蔵先等
出品作品と同じ「日本外史」の写本は、国立国会図書館(村瀬秋水・写)、東京大学、京都大学、大阪府(1冊のみ)など8箇所にあります。